正條の渡し
シンボルのムクの大木が繁るこの渡しは江戸時代、暴れ川として有名で橋の無い川、揖保川を渡し船で渡す場所であった。ここでは底の平らな川に向いた高瀬舟が待機し、料金として「地水二文(浅い時)、中水八文、備水(深い時)十六文」という渡し賃を記した川札があった。室津街道、山陽道の合流点である相合宿、正條・片島にある渡しであり、相当な交通量があった。特に、参勤交代では舟が足りず、他の地区からも舟を工面していた。今は町道で自動車のすれ違いもできないが、当時のメインストリートであり、河川改修で面影も無くなった他の渡しと比べると往年のイメージを何気に残している。この町道の少し南、自転車店を曲がり西進すると、旧山陽道となり、面影がよく残されている。
川沿いには堤防の代わりに畳堤が設置され、平成の台風の増水で畳をはめて用意したが、ぎりぎりの水位でその活躍を免れた。
名称 | 正條の渡し |
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住所 | 兵庫県たつの市揖保川町正條の渡し |
観光スポット一覧
神力翁丸尾重次郎顕彰碑
明治の銘米「神力」を発見した丸尾重次郎の顕彰碑
神力翁丸尾重次郎 案内板
明治時代に多収穫米「神力」を発見し、栽培を広めた
王子権現神社(権現山古墳群)
通称「ごんげんさん」と呼ばれ、三角縁神獣鏡が出土した権現山古墳への道も。
清十郎生家跡
後年、歌舞伎や浄瑠璃、オペラにもなった、お夏清十郎駆け落ち事件の清十郎生家跡地とされる。
海源寺
神亀3年(926年)頃建立の寺
法然上人貝堀りの井戸(伝承)
浄運寺から海側に降りた所にある井戸。浄土宗の開祖、法然上人は室津に二度寄港している(伝承)。
本陣紀伊国屋跡
17世紀末、室津は寄港地から要衝となった。大名が泊まる本陣は日本屈指の6軒もあった。
岩村善六君頌徳碑(神力米功労者)
たつの市発祥の明治の銘米「神力」を全国に紹介した功労者。余部村の村長。
フォトスポット一覧
龍野藩営野田焼古窯址
寛政9(1797)年、龍野藩営の窯として始まり、明治時代には民営となった。
龍野橋東詰
橋の東からは龍野城下町のほぼ全景が見える
龍野城
龍野のシンボルとしてアレンジ・再構成されている。桜の名所であり、イベントも行われる。
龍野公園の桜(基準木)
龍野公園での満開判定をする基準となる木
龍野ショッピング 森高パンダ
森高千里さんのフォトエッセイの表紙に龍野ショッピングが!
黒崎菜の花畑
綾部山梅林の裾野に広大な黄色い菜の花畑が広がり、早春を満喫できる。開花は1月中旬~。
陸軍大将田中静壱記功碑
ポツダム宣言玉音放送前日からの皇居宮城事件鎮圧者であり日本を終戦に導いた立役者。
野見宿禰神社(相撲の神様)
現在までに有名力士の参拝は跡を絶たず、玉垣にはその名が残る。