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野見宿禰神社(相撲の神様)

現在までに有名力士の参拝は跡を絶たず、玉垣にはその名が残る。

播磨風土記によると、2000年程前の怪力かつ頭脳明晰な人で、垂仁天皇のもとにいた怪力の当麻蹴速と相撲を取らせた所、野見宿禰が勝利し、垂仁天皇に仕える事となった。彼は今までの皇族の葬儀で殉死者を一緒に葬る慣例をやめ、代わりに埴輪を入れる事になったと伝えられている(伝承)。彼が朝廷から故郷の出雲に帰る途中に龍野で重い病気になり、この地で亡くなった。地元・出雲の人々が揖保川から並び立って、石を運んで墓を造ったという言い伝えから人が「立つ野」「立野」「龍野」となったと言われる。家紋は出雲大社と同じ亀甲紋となっている。現在までに有名力士の参拝は跡を絶たず、玉垣にはその名が残る。軽登山の格好で動物避けの鈴を持つ事を推奨。近くには龍野公園展望台があり、景色も見事。周辺には龍野藩主廟として初代脇坂安治を祭神にした龍野神社があり、毎年春の武者行列の始発点となっている。

名称野見宿禰神社(相撲の神様)
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