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国の重要伝統的建造物群保存地区 
龍野の町並み

「たつの市龍野伝統的建造物群保存地区(龍野伝建地区)」は、

脇坂氏の約200年にわたる長い藩政を象徴する龍野城の城下町で、

その起源は16世紀まで遡ります。

江戸時代から昭和初期にかけて建てられた伝統的建造物が良好に残り、

近代の醤油醸造関連施設も多く見られる等、

西播磨の城下町としての歴史的風致を今に伝えていることから、

国の「重要伝統的建造物群保存地区(重伝建地区)」に選定されています。

また、白壁や町家造りの建物が多く残る情緒豊かな町並みは、

「播磨の小京都」とも呼ばれています。

歩くだけで随所にその歴史の深さを発見できるまち、

龍野にぜひお越しください。

たつの市龍野伝統的建造物群保存地区について

龍野地区は、兵庫県南西部の西播磨地方に位置し、古代から西播磨の中心地として栄えてきました。

戦国時代に赤松氏が揖保川西岸にある鶏籠山の山頂に城を築いて居城とし、城の南の狭小な平野には、16世紀末までに町並みが成立していたと見られます。

江戸時代になると、山裾に城が移されるとともに、城下町が形成され、17世紀後半に龍野に入封した脇坂氏が、これ以降、約200年の安定した治世を築きました。

龍野城下町は、揖保川水運の要衝として、現在の地場産業につながる醤油醸造業や素麺製造業とともに発展し、江戸時代を通じて西播磨の政治経済の中心としての役割を担ってきました。

龍野伝建地区の位置図

龍野伝建地区は、その区域を8つの地区に分けることができます。

各地区の名称は立地等に由来しており、それぞれ固有の歴史や文化を有しています。各地区の特徴を知ることで、龍野地区のまち歩きをよりお楽しみください。

各地区の紹介

龍野伝建地区は、城下町のうち、旧町人地の主要部を含む範囲で、江戸時代から昭和戦前期までにかけて建てられた伝統的建造物が良好に残っています。敷地の間口いっぱいに建つ主屋は、切妻造、平入を基本とし、近世は、つし2階建の本瓦葺が多く見られましたが、近代になると桟瓦葺が主となり、明治中期以降には、本2階建のものが多くなりました。平面は、通り土間に沿って3室を1列に並べるものが主体で、間口の大きい家では、2列となります。1階は、古くは出格子を構えるものや、全面を引戸とするものが見られ、大正以降になると、腰壁を設けて格子窓とする形式が多くなり、同形式への改修も進みました。2階は、大壁を基本とし、虫籠窓や出格子窓のほか、金属格子をはめる窓、近代になるとガラス窓なども現れ、主屋以外には、門や敷地の周囲を囲む高塀などが見られます。保存地区には、醤油醸造に伴う長大な土蔵造の建物や洋風建築等の醸造関連施設も見られ、近世から近代までにかけて発展した醸造町の歴史的風致を良く伝えています。

門の外 上川原 下川原 上霞城 大手 立町 本町 川原町

※地区名をクリック(タップ)することで、
各地区の説明をご覧いただけます。

門の外

門の外は、寛文12(1672)年の文書に「御門外」と記された上川原の枝町で、善龍寺の東にはかつて惣門があり、その外という意味が地名の由来となっています。

かつては紺屋が軒を連ね、地区の東には公用の馬繋ぎ場もありました。現在は、本市の地場産業である淡口醤油を製造する事業所があるため、醤油の香りが漂う風情のある地区です。
通りの景観は、醤油会社の主屋や醤油蔵が大きな割合を占めており、醸造のまち「龍野」にふさわしい景観を醸し出しています。

上川原

上川原は、揖保川河川敷に形成された町の北部に位置することが名前の由来となっており、17世紀前半の文書には上川原地名が確認できます。
江戸時代は、地区内を緩やかに曲がる通りに沿って、多種多様な店が軒を連ねる商家町でした。
現在も町家造りの面影を残す建物が多く、本瓦葺きの屋根と塗込めの2階部分が特徴的な町並みとなっています。近年は、古民家を再利用したカフェや美容室、書店なども営まれています。
町家は、通りに面した土間を大きくとり、曲折する敷地を土間によって整え、一般的な間取りの形式を確保する町人の知恵がうかがえます。

下川原

下川原は、揖保川河川敷に形成された町の南部に位置することが名前の由来となっています。
江戸時代初期は、酒造業、中期以降は、醤油醸造業が盛んな商家町でした。
明治時代になると、乾物屋や豆腐屋などの日用雑貨の商店街に変化したことが、当時の町割り図から分かっています。
外観としては、二階部分に伝統的な町家の意匠が比較的よく残っており、小規模な町家が軒を連ねる様は、城下町龍野の落ち着いた風情を今に伝えています。

上霞城

上霞城の「霞城」は、龍野城が霞城と呼ばれたことに由来し、現在は上、中、下の三地区に分かれており、上霞城は一部が保存地区に含まれます。
上霞城一帯は、龍野藩に仕える武士やその家族が住む武家地であり、現在の龍野小学校の位置に藩の学館があるなど、藩政の中心地でした。
大正時代には旧龍野醤油同業組合の事務所と醸造工場が設置され、醤油の品質試験等を行っていました。この二棟は、平成28年8月1日に国の登録有形文化財に登録されました。
現在は、醤油の郷大正ロマン館、クラテラスたつのとして生まれ変わり、龍野地区の観光案内や地場産品の販売等を行っています。

大手

大手は、龍野城の大手門周辺に形成された地区であることが、その名の由来となっています。
江戸時代から醤油醸造業が盛んで、本瓦葺きのヒガシマル醤油元本社工場事務所や圧搾場、仕込蔵のほか、タイルと石貼りの洋風建築のうすくち龍野醤油資料館は、本地区のランドマークとなっています。
また、地区内には4つの寺院があり、通りから見る山門の風景と、その奥に見える本堂の大屋根の存在は、周辺の町家や土蔵造りの景観と相まって、落ち着いた歴史的な風景を作り出しています。

立町

立町は、龍野城の大手門から南へ縦(立て)に延びる道筋にあったことがその名の由来となっています。
江戸時代には、小売業や両替業等を営む商家で賑わっていたほか、現在の中央公民館の位置には、町会所(集会所)が設置され、明治以降は、同じ場所に龍野町役場が設置されるなど、行政の中心地でもありました。
町並みとしては、伝統的な町家による家並みの中に明治期に建てられた洋館が混在しているのが特徴です。また、立町の通り沿いは、他地区と比べて寛政10(1798)年当時の地割りが高い割合で残っており、龍野城下町の歴史的景観を今によく伝えています。

本町

本町は、龍野城の大手門から南下した位置にあり、城下町の元(本)となる町であったことが名前の由来です。
江戸時代には、今宿筋(現在の龍野図書館前の通り)から十文字川までの下町筋に醤油業者が集まる醸造町でもありました。また、福の神の南側にあった土知川(十文字川)口に御番所が置かれ、日山村との境にあたる川原町筋交差点には門が設けられていました。
町並みとしては、十文字川沿いに連続する白壁の建物が美しく、豪壮な商家が並んでいることが特徴です。

川原町

川原町は、揖保川河川敷沿いに形成された町、つまり川原であったことが名前の由来です。
江戸時代には、町人地に武家屋敷も点在し、川沿いには商家が軒を連ねていました。また、龍野藩に仕える儒学者の本間家、俣野家、藤江家が並んでいます。特に、俣野氏の私塾「幽蘭堂」は史料が残っており、藩の内外の子弟が学ぶ庶民教育の場であったことが分かっています。
町並みとしては、屋敷型住宅や町家、洋館が散在する中に高塀が連なる独特の景観を持つことが特徴です。

保存地区周辺の飲食店

揖保乃糸が食べられるお店やカフェをピックアップしました。

保存地区周辺のお土産店

薄口醤油饅頭や揖保乃糸などを購入できるお店をピックアップしました。

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